2019年はリヒテンシュタイン建国300年、日本と友好100年

スイスとオーストリアに囲まれた国・リヒテンシュタインは平戸島とほぼ同じ面積で、隣国スイスは九州本島とほぼ同じ大きさです。早速、リヒテンシュタインの歴史を説明しましょう。

①建国(誕生)300年

低地シェレンベルク(北部)と高地ファドゥーツ(南部)を合わせたリヒテンシュタインが 誕
生したのは1719年1月23日、従って、2019年は建国300年にあたります。

建国275年記念切手
建国275年記念切手
建国275年記念切手
建国300年記念切手

②独立100年

オーストリア・ハンガリー帝国からリヒテンシュタインが完全独立したのは1919年8月2日。 第一次世界大戦終了後のこの日、オーストリアとリヒテンシュタインの間に1852年以来締結されていた関税条約の終息が リヒテンシュタインにより宣言されました。

③日本・リヒテンシュタインの国交(友好)関係は100年

最初に「リヒテンシュタイン侯国がいつ独立国になったか?」を考察しますと、1867年ではないでしょうか! 1867年に、ビスマルクがオーストリア帝国を弱体化させるためにリヒテンシュタインを切り離して独立国にし(注 関税条約は継続)、これを好機にリヒテンシュタインが翌1868年に非武装中立策を採用したのです。日本は1869年10月18日(明治2年9月14日)にオーストリア帝国と修好通商航海条約を結びましたので、この時点ではリヒテンシュタインとは形式上、外交関係はないということになります。 従って、日本はオーストリアと2019年に国交樹立150年を祝いますが、リヒテンシュタインとは祝賀行事をしません。

リヒテンシュタインが1919年10月にスイスと領事条約を結びましたので、即、日本人はスイス経由で入国可能になり、ここから起算すると2019年で国交100年 日本とスイスが1864年2月6日に修好通商条約を結んでいたためですが、スイス・リヒテンシュタイン国境にある税関を通る必要がありました。
税関が廃止され、現在のようにフリーパスになったのは1924年1月1日以降です。
この時点で、スイス政府は日本政府に「日本国内においてリヒテンシュタイン人がスイス人と同等な処遇が受けられるように」と改めて要望し、返事を求めていました=資料2。

資料2
 ※資料2

【エピソード】
 吹浦忠正・ユーラシア21研究所理事長の『新・徒然草 リヒテンシュタインという国』という章に「…大学院時代の私の指導教授である松本馨早大教授は昭和初期のハイデルベルク大学留学時代、この国を訪ねてみようとして列車に乗ったが、往復とも通過してしまい果たせなかったという思い出をしばしば語っておられた」と記述されています。
 この“昭和初期”を東海大学(※)が公表している「松本馨教授略歴」で調べると、英国のオックスフォード大学を卒業した昭和2(1927)年6月からドイツのハイデルベルク大学を卒業した昭和5(1930)年6月までの間であることが分かります。つまり、①スイスとリヒテンシュタインが結んだ『1919年の領事条約』や②『1924年のスイス・リヒテンシュタイン国境の税関廃止』以降であり、このため、スイスのブックスとオーストリアのフェルトキルヒの間を往復しながら“途中のリヒテンシュタイン領内通過”に気がつかなかったのではないかと推測されます(リヒテンシュタイン領内には駅ありますが…)。
 つまり、すでに日本とリヒテンシュタインは国レベルの関係だけでなく、民間レベルでも友好関係にあったといえるでしょう。民間人の貴重な証言です。
※早大から後に東海大に転職

1957年、スイスと日本の間に発効させた「一部旅券査証の相互免除に関する取り決め」をリヒテンシュタインと日本の間にも準用(4月15日効力発生)=外交史料館

  1. 1962年9月29日に瀬尾恒雄氏がリヒテンシュタインに入国(後にリヒテンシュタイン国籍取得第1号)。
  2. 1964年、東京オリンピックにリヒテンシュタインの男子選手2人参加。
  3. 1966年、Ivoclar Vivadentから日本の白水貿易会社が義歯を輸入(他の貿易省略)
  4. 1972年、札幌オリンピックにリヒテンシュタインの男子選手3人女子選手1人参加
  5. 1974年夏 植田信行(健嗣)氏がリヒテンシュタイン入国

1989年に日本とリヒテンシュタインの首脳が公式行事で相互訪問、これから30年
2月にハンス・アダム侯太子同妃殿下が昭和天皇の大喪の礼に、11月には礼宮殿下が
フランツ・ヨーゼフ二世侯のご葬儀にご出席(皇室、侯室の非公式での交流は省略)。

写真
 ※ハンス・アダム侯太子殿下(現・二世侯)が日本政府の非公式招待で1986年に来日された際の記者会見

1990年 アロイス侯太子殿下が即位の礼にご出席

1996年6月12日、日本の駐スイス大使が駐リヒテンシュタイン大使を兼任。しかし、リヒテンシュタインの駐日大使はいませんし、駐日大使館もありません。
すなわち、片務的で、1919年10月の時点と状況は同じ、在日スイスが領事事務を代行しています。

若手音楽家育成「アヤメ基金」は2016年3月に「日本・リヒテンシュタイン公国友好97年記念コンサート」を日本の8カ所で開催、6月にはファドゥーツで2回開催しました=写真1、2。 これは、100年記念のプレ行事で2019年まで日本では毎年開催することを検討しているとのことです。
なお、音楽会のほかには柔術交流での来日、ファドゥーツの地元・寿司店での交歓会も開催され、日リ文化を話題に盛り上がりました=写真3。

パンフレット
1 コンサートのパンフレット
コンサート会場の教会の写真
2 コンサート会場の教会
柔術交流会の写真
3 柔術交流会

☆日本とリヒテンシュタイン侯国との「外交関係の表現」を新時代に合わせて変更する必要があるのではないでしょうか?

 すなわち、リヒテンシュタインと中国の関係を付記しますと、1949年に建国された中国は1950年9月14日にスイス、リヒテンシュタインと外交関係を樹立、2010年には外交樹立60周年を祝いました。1948年に建国された北朝鮮は1974年12月20日にスイス、リヒテンシュタインと外交関係を樹立しましたので、2024年には外交樹立50周年を祝うことでしょう。つまり、スイスが1919年以来、リヒテンシュタインの利益代表国になったための状況ですが、この状況を日本の外務省はなぜか軽視?!、日本とリヒテンシュタインとの外交関係を「伝統的な友好関係。我が国との正式な外交関係樹立は1996年6月」と文学的な表現をしているのです。このため、日本とリヒテンシュタインとの外交関係が中国や北朝鮮より短い?という奇妙な状況に陥っています。

これに輪をかけたのが日本リヒテンシュタイン協会の「(2016年が)国交樹立20年及び日本リヒテンシュタイン協会創設40年」という表現で、これがリヒテンシュタイン在留邦人の誇りをひどく傷つけています。

 このため、日本も1919年を起点に外交関係を起算し「日本とリヒテンシュタイン侯国は2019年に国交樹立100年」とすべきではないでしょうか? 日本は「リヒテンシュタインがオーストリー・ハンガリー帝国の一領邦時代からの交流があるのですから、問題はない」と思われますがいかがでしょうか!? また、1964年の東京オリンピックに参加したリヒテンシュタインの2選手は不法入国したわけではないのですから…。

最後に、2015年にはリヒテンシュタインで「中国との国交樹立65年」を記念する切手が発行されていることを付記します。