リヒテンシュタインは国防をスイスに委任?!

リヒテンシュタインは1868年に非武装中立国になっていますから、同国内には兵は一兵たりともいません。このような状況下で、もし隣国スイスが防衛条約をリヒテンシュタインと結ぶとすれば相互防衛条約は成立せず、「リヒテンシュタインを一方的に軍事支配した」と誤解されかねません。
これは永世中立を国是とするスイスとすれば大きな損失ですから、スイスはリヒテンシュタインの防衛、すなわち、国防を引き受けることありえません。

「リヒテンシュタインがスイスに国防を委任している」という誤解はどこからくるかー
恐らく、リヒテンシュタインとオーストリア国境に配置されているスイス 税関吏の制服を見ての誤解でしょう。
税関吏はリヒテンシュタインとスイスが1923年に関税同盟協約を結んでいるため翌24年1月1日から配置されているわけですが、税関吏が携帯するピストル程度の武器では軍隊の侵入を防ぐことができないことはいうまでもないでしょう。

また、リヒテンシュタインで生活してみれば分かりますが、スイス空軍の戦闘機は訓練中にリヒテンシュタイン領空には飛来しませんし、陸軍兵士が夜間行軍で道を誤ってリヒテンシュタイン領土に入ればスイス政府は礼を尽くして謝罪していました。また、リヒテンシュタインに住むスイス人は、フランスやドイツなどの外国に住むスイス人と同様に軍役を免除されていますから相互防衛条約が結ばれていないことは明らかでしょう。

☆以上は、法律論、理屈ですが、歴史的観点から誤解を恐れずに言えば、永世中立国のスイスはリヒテンシュタインを永世中立の副産物として意図せず護っています。
すなわち、1815年のウィーン会議でスイスが永世中立国として認められたため、

①スイスとリヒテンシュタイン間の国境が再確定、1499年のシュヴァーベン戦争当時のように独立をめざしたスイス兵がリヒテンシュタインに侵入してくることがなくなりました

②1799年、1800年にはフランスのナポレオン軍がスイスからライン川に沿って北上、リヒテンシュタインに侵入しましたが、このようなスイス経由の侵入も実施不可能になったーからです(注・1800年は、グラウビュンデンから北上してきた軍で、これがリヒテンシュタインを侵略した最後の軍)。

第一次大戦では、リヒテンシュタインは1868年にすでに非武装中立国になっていたもののオーストリア・ハンガリー帝国の一領邦であり、リヒテンシュタインとスイスの国境にはオーストリア税関吏が配置されていたため中立を疑われ食糧難に陥りましたが、救ってくれたのは隣国スイスでした。

第二次大戦では、独立したリヒテンシュタインとオーストリア国境にはスイスの税関吏が配置についていたため、リヒテンシュタインの中立性は疑われなかったものの、国内ではナチス心酔者にゆすぶられ流入する難民対応に追われましたが、難民問題はスイスの助力を得て乗り越えたのでした(注・難民に寛大なスイスでさえ全てを受け入れられたわけではなく、スイス人の心の傷となっています)。

現在では、オーストリアが1955年に永世中立宣言したこともリヒテンシュタインを護っていると言え、中立国2カ国に囲まれたリヒテンシュタインは極めて稀な安全さの中にあると言えるでしょう。非武装中立は隣国の理性がなければ成立がむずかしいのです。