リヒテンシュタインは公国か候国か?!

リヒテンシュタインFuerstentum Liechtenstein(ドイツ語表記)を日本の外務省は「リヒテンシュタイン公国」と現在、表記しています〔ueはウーウムラウト〕。
しかし、同省の「外交文書」を時代を遡って調べると、少なくても1913(大正2)年6月~1924(大正13)年9月までの間は「リヒテンスタイン」、「公国」と表記されているのです〔注1 アジア歴史資料センターURL:http://www.jacar.go.jpのレファレンスコードB07080002400で視認可能〕。

しかし、どのような理由で「リヒテンスタイン」から「リヒテンシュタイン」に「いつ変更されたのか?」は現在のところ不明です。

勝手にいくつか想像してみますと、
①英語または仏語の資料を読んだので「リヒテンスタイン」と音訳表記し、かつ、両言語に概念のないFuerstentumを無理やり公国と訳してしまった。

②独語の資料を読んだが、読解力に難点があり、正確に翻訳ができなかった。

③リヒテンシュタイン家は「スイスとオーストリアに囲まれた現在の国」以外にもチェコスロバキアに広大な領地を所有していたため、「Fuerst(侯)ではなく格上のHerzog(公)みたい」と訛り言葉で冗談が交わされていた?ので、リヒテンスタイン公国と訳されてしまった。

ーとなります。繰り返しますが、①②③はある程度根拠のある、勝手な推測ですが…。

次に、Fuerstentumを「公国」と訳してしまうと、リヒテンシュタインも加わって1806年7月12日に結成されたライン連邦(ライン同盟とも)がうまく説明できなくなってしまうのです。王国や大公国などの16領邦から構成されていたからです。
さらに、ライン連邦の崩壊後に結成されたドイツ連邦はオーストリア帝国のほかに5王国、1選定侯国、7大公国、10公国、リヒテンシュタインを含めた10侯国、1方伯国、4自由市からなりたっていたのです。

以上からして、 日本の外務省は「リヒテンスタイン」から「リヒテンシュタイン」に変更する勇気があったのですから、「公国」から「侯国」に改めるべきです。日本のドイツ語圏史学の研究成果を尊重すべきです。
詳しくは1981(昭和56)年発行の大石昭爾著「誰も書かなかったリヒテンシュタイン」(サンケイ出版 絶版)の142頁、170~179頁を参照してください。
なお、「ノート:リヒテンシュタイン」と入力して検索、ウィキペディアのフリー百科事典を参照してみるのもよいでしょう。